道具の限界がデザインの限界になっていた話

この記事は2019年7月の記事を書き直したものになります。

こんにちは!
伝える・伝わるデザイン、中村麻奈美です。

今度、青山華子さんのブログにて
伝える・伝わるデザインのインタビュー記事を掲載いただくことになりました。
(ありがたや~)

その記事用にイラストを描いていて感じたことがあったので
今日はその話をしたいと思います。

「いつの間に道具に使われていませんか?」というお話です。

初めて使うソフトの習得でいっぱいいっぱいになり、
「自分がしたかったこと」がどうでもよくなった経験はありませんか?

例えば、デザインをするためにIllustrator(デザインをするソフト)を使っているのに、
ソフトが思うように使えず、デザインどころではなくなるのはよくある話です。

今はなくなりましたが、私もデザインを始めた当初はillustratorソフトのことで頭がいっぱいで、
自分が何をしたかったのかわからなくなるなんてことはしょっちゅうでした。
「いいデザインをしたい」なんてのは二の次です。

これを払しょくするためには、ひたすら道具(Illustrator)を使って慣れるしかない、と
とにかく使って使って使いまくっているうちに自然に手が動くようになっていきました。

Illustratorを思うままに操れることが当たり前になり
もっと効率のよい使い方ができないものかと試行錯誤し始め、

そして、ある時ふと気が付くんです。
あれ、自分はIllustratorに合わせて思考ができてしまっているなぁと。

いつの間にか「道具の限界」が「自分の想像力の限界」になっているんです。

ある意味、思考の停止と言っていいかもしれません。

たとえば、日本に生まれ育った人が、日本という枠の中に順応し、
日本の外にはもっといろいろな考え方や生き方があることに
気が付きにくいようなことにも似ています。

Illustratorも同じで、
Illustratorありきの頭だと
デザインの幅が狭くなりやすい。

日本だけが、今の環境だけが全てではないと知っているのと知らないのでは
悩みの答えの出し方に違いがあるように
Illustratorが全てではないという前提があるかないかで
デザインへの取り組み方が違ってきます。

道具に慣れてきた時に、
道具の外に答えがあるかもしれないことを知らないと
いつの間にか道具にひっぱられたデザインになっていることもあるのです。

だからデザイナーは、色々なデザインをインプットすることはもちろん
デザイン以外の情報を取り入れることも必要だと思っています。

よく、異業種の方が伝統文化に新しい風を吹き込む話を聞きますが、
伝統文化に染まりきっていないからこそ、枠にしばられず、新しい視点で見ることができた結果ではないでしょうか。

Illustratorは私にとってなくてはならない道具ではあるけれど
あくまでも道具、手段であるということ
手段(道具)と目的を混同してはならない。

大前提、当たり前、常識を見直す。

道具を大切にしつつ、道具の持つ枠に囚われないことを意識していきたいものです。

<追記>
先日、美大出身のお子さんを持つお母さんとお話をする機会があり、
美大生のなにものにもとらわれない発想力のすばらしさに驚嘆しました。

結局そのデザインは予算や手間など諸々の事情で却下となってしまったようですが、
その選択肢を持っていることはその人にとって強みになると思います。

私ももっともっと発想力を豊かにしていきたいと思いました。